小樽オリーブルーテル教会の歴史


 ☆当教会が始まってから今日に至るまでの主な歴史をご紹介します。

1950年 6月
アメリカのルーテル教会ミズーリー・シノッドから派遣された宣教師ヘアボース師が小樽市内(大阪商船会社)にて英語の聖書研究会を始めました。また、それ以前、数ヶ月間、小樽商科大学において英語バイブル.クラスを開催していました。

1951年 1月
フロム師がアメリカより牧師補として派遣され、小樽に来ました。ヘアボース師と共に聖書研究,小教理問答書クラスを指導されました。

1951年 6月
ヘアボース師は東京に神学院教授として赴任され、以後、フロム師一人で、小樽伝道に従事しました。

1951年10月
フロム師、小樽市内に住吉倶楽部と命名し、日曜学校を開始しました。

1952年 3月
オウ師が派遣されて加わり、小樽伝道に従事し、小樽潮陵高校において、英語聖書研究を開始しました。

1952年 6月
フロム師は更に神学校にて勉学を続けるため、アメリカに帰国され、以後、オウ師が一人で小樽伝道に従事しました。

1953年11月
オウ師は札幌から小樽市に転居し、小樽伝道に専念しました。以後、オウ師宅にて、主日礼拝,聖書研究会,日曜学校等の活動がもたれました。なお、住吉倶楽部の日曜学校も引き継がれました。

1955年 7月
オウ師と会員が協力して、米国の兄弟姉妹の援助を受け、市内花園町4丁目に待望の教会堂が建設されました。

1956年 4月
オウ師が休暇で帰国している間、2ケ月間ヒンズ師が主日礼拝を守りました。

1956年 6月 
今成庸一師、宣教牧師として小樽に派遣され、就任されました。今成師は、小樽の他、余市,寿都,泊方面にも伝道しました。

1959年10月 
今成師、戸塚教会の招聘を受諾し、小樽を離れ、あそた。以後、リー師が代わって小樽を牧会しました。

1961年 8月 
リー師は休暇のためアメリカに帰国し、以後、フロム師が小樽伝道を引き継ぎました。

1964年 5月
 フロム師の指導により、小樽オリブ・ルーテル教会と寿都シオン・ルーテル教会が共同で、当間俊雄師を招聘することを決定し、当間師の牧師按手就任式が行なわれました。以後、当間師は、小樽,寿都,並びに余市,積丹等に伝道され、フロム師も、当間師と協力し、寿都をはじめ、道南方面の伝道が為されました。

1965年 8月
 フロム師、休暇のため、アメリカに帰国し、以後、当間師一人で、小樽,寿都両教会の牧会を続けました。

1966年 1月 
 寿都教会には、宣教牧師として、大沢師が与えられ、当間師は、小樽のみの牧会に専念することになりました。小樽オリブ・ルーテル教会では、1968年4月に幼稚園を開園することを目途に、1967年に教会堂移転計画を立て、牧師,会員一丸となって、伝道に邁進していた。1965年秋に現在地(松ケ枝町)に土地380坪を教団が購入し、無償で永久貸与を受けることになり、この地に牧師館建築工事が開始されました。       

1966年 8月21日 
 旧牧師館が完成しました。

1967年 春
 教会堂,幼稚園舎の設計図が完成しました。1966年(昭和41年)暮から、アメリカミズーリー・シノッド伝道本部では、教会拡張関係の資金を凍結したため、一時は、小樽の建設計画も中止しなければならない雰囲気になってきました。そこで、花園町の旧会堂と土地を早急に売却して、その金額を工事金の頭金として支払い、その年中に工事を完成することを目標にしました。

1967年 6月 
 ランダ氏夫妻がP.O.P.V(プリンス・オヴ・ピース・ヴォランティア)として小樽に派遣されました。

1967年 7月
 業者と教団の理解を得て、待望の会堂,園舎の建築が開始されました。一方、花園町の旧会堂は、骨組みだけを新しい建物に利用するため、会員も一緒に取壊し作業をしました。

1967年12月 
 遂に二階建ての会堂,園舎が完成しました。献堂式をしました。私学審議会の審査で、11月29日オリブ幼稚園の設置が承認されました。

1968年 1月15日 
 オリブ幼稚園最初の園児募集を開始しました。

1968年 3月 
 高野公雄氏がビィッカーとして小樽に来られ、10月まで実習しました。

1968年 4月
 オリブ幼稚園開園式と第一回入園式をいたしました。

1969年 6月
 教会と幼稚園で初めてのバザーを開き、大好評を得ました。

1969年 7月
 余市の荒井さん宅が新築され、余市集会所を高安医院から荒井家に移しました。

1969年 8月 
 道南地区のサマー.キャンプ(2泊3日)を小樽教会で開催しました。

1969年 9月
 3人目のP.O.P.Vとして、リンド氏が来ました。

1970年 2月
 ランダ氏夫妻、任期を終えて帰国しました。後任として、アウフデンカンプ氏夫妻が来られました。

1970年 3月
 当間牧師、横浜泉ルーテル教会よりの招聘を受け、小樽を離れることとなりました。5月16日後任として、高野公雄牧師が家族と共に小樽に赴任して来られました。

1970年 5月31日
 宣教20周年記念礼拝式と合わせて、高野牧師就任式を行いました。

1972年 3月 
 高野牧師じゃ飯能ルーテル教会の招聘を受けられ、小樽を離れました。7月本城和郎師が宣教牧師として、北海道地区教会会議よりの招聘を受け、本城師は小樽オリブ.ルーテル教会に派遣され、23日に就任式をしました。

1974年 6月26日 
 小樽市の墓地抽選会に、教会から、本城牧師,鴨志田兄,遠藤兄が教会墓地確保のために応募し、鴨志田兄が当選しました。以後、鴨志田兄の好意によって、そこが教会墓地となりました。

1975年 1月
 新教会援助規則に基づいて、日本ルーテル教団常議員会は、本城牧師の地区派遣を解き、小樽オリブ・ルーテル教会の教団派遣牧師とすることに決定した。

1975年11月23日 
 教会墓地に墓碑を建立し、除幕式を行いました。

1976年 4月
 本城牧師は、小樽,寿都教会の兼任牧師となりました。

1976年10月 
 上原令子感動コンサート伝道集会を教会堂で行いました。

1979年 2月
 寿都教会にて、塩狩峠映写伝道集会を開催し、130名が参加しました。

1979年12月 
 マザー.テレサとその世界映写伝道集会を市内教会合同で医師会館において開催しました。

1981年 2月
 教会讃美歌を使用し始めました。

1981年 4月29日 
 井上 馨牧師が、寿都教会に就任しました。本城牧師の寿都教会兼任は解かれました。

1981年12月29日 
 最上塾が火災に遭ったため、教会礼拝堂,幼稚園ホールを最上塾に支援提供しました。

1982年 4月
 幼稚園園長山田克子姉の退職に伴い、本城牧師が園長を兼務することになりました。

1982年 6月1日 
 本城牧師を招聘し、小樽オリブ・ルーテル教会は、自給教会となりました。6月15日に招聘状の伝達式を行いました。

1984年 4月
 寿都教会に高橋牧師が就任しました。

1986年11月 
 現在の教会堂および幼稚園舎が新築されました。11月23日、献堂式・感謝式を行いました。新築にあたっては、教団より、伝道拡張資金として、20年返済6000万円の借入れを行いました。

1990年 2月 
 会員総会の議を経て、聖餐礼拝式を月2回としました。

1992年 2月 
 会員総会において、鴨志田光兄を代表役員に、荒井栄子姉を会計役員に選出しました。以後しばらくこの態勢で経過しました。

1996年 5月
 第10回日本ルーテル教団総会が、小樽天望閣で開催されました。本城和郎牧師は、北海道地区よりの教団常議員として選出されました。

1998年 2月
 会員総会で、船津秀樹兄を代表役員に、荒井栄子姉を会計役員に選出しました。教会基本方針を「十字架につけられたキリストを宣べ伝えよう。」〜宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。〜ローマ10.14.としました。

1999年 5月
 東京ルーテルセンター教会において開催された第11回日本ルーテル教団総会において、船津秀樹兄、議長団の一員として総会で議長を務めました。本城和郎牧師、北海道地区選出の常議員として再選されました。

1999年 9月13日
 主日礼拝式より幼児陪餐を行うことになりました。

1999年10月31日 
 臨時会員総会にて、本城和郎牧師を、65歳定年後も、引き続き牧師として招聘することを決めました。また、使用する聖書を共同訳とし、教会の名称も小樽オリーブ・ルーテル教会としました。さらに、教会規則を定め、2000年4月1日から施行する事としました。

1999年12月24日
 2000年に宣教開始50周年を迎えることから、共同訳聖書50冊をクリスマス・イブ礼拝出席者に配布しました。

1999年12月26日
 主日礼拝式の式文を 新式文にしました。

2000年 2月 
 定期会員総会で、2020年までの伝道計画を策定しました。教会基本方針は継続することとし、新しい教会規則の施行し、教会年度を4月1日から3月31日までとしました。

2000年 4月
 イースターの礼拝式において、鴨志田敏子姉が28年間の求道生活の末に受洗されました。一同大きな喜びに包まれました。

2004年 1月
 小樽オリーブルーテル教会は臨時総会を開いて、本城牧師の後任として木村牧師を招聘することを決定し、4月に就任式をしました。


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