説教 「大転換《

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2025年10月26日 宗教改革主日説教
テキストは マタイ 11:12*19

 史は大きく動いています。そして、ときとしてそれは大きな変化、転換するときを迎えています。最も大きな転換点はこの世が終わるときです。神様が天地を創造されてから、このかた、ずっと続いて来たこの世界が終わって、イエス様がお話しくださった新しい天と新しい地が出現し、これまでのものは全て消え去ってしまうとき、そのときこそまれにみる大転換のときです。

 その時が来れば、これまでのものはすっかり終わってしまい、神様が与えてくださる全く新しい世界、イエス様が、あなたがたのために場所を用意しに行くと約束しておられた新しい世界が現れることになります。

 けれども、その前に、この世における大きな転換がありました。それはイエス様が、父である神様の独り子であるイエス様がこの地上にお生まれになり、そして、わたしたち人間を救うための救いのみ業を為されたときです。

 その分岐点に洗礼者ヨハネが置かれています。洗礼者ヨハネまでが以前の契約の時代、わたしたちから見ると、旧約時代です。その旧約時代が洗礼者ヨハネを点としてその点で終わり、ヨハネが指し示したイエス様による新しい契約の時代が始められました。新約時代の始まりです。

 それは同時に、終わりの時代の始まりでした。イエス様が来られたそのときから、この世は終わりの時代に突入しました。この終わりの時代は神様の宣教の時代で、イエス様の体である教会を通して多くの人たちを救う時代です。

 救うとされた人が全て神様が定められた通りに整ったときは、完全にこの世の終わりのときです。この世は終わるとイエス様ははっきりと告げておられます。そのときは近づいているとイエス様は教えてくださいました。

 そのための働きをするものとして神様がイエス様の体である教会を世界中に広げられました。そして、あらゆる国の人たちにイエス様による救いの福音が伝わり、彼らが救われる道が開かれてきました。

 今や、ほとんどの国や地域にイエス様の救いのみ業は展開されています。時が満ちるのが近づいています。それは、イエス様が教えてくださった通りです。しかし、その途中に人間は愚かなことを繰り返してきました。

 こともあろうに、イエス様の体である教会が、この世の権力と結びついて、癒着して、更に支配するに至っていました。

 それは、次第に教会の中に広がって行き、多くの教会が同じ過ちに陥ってしまった時代でした。その過ちは最初は小さなものであったはずですが、次第に大きな力となってしまい、教会がこの世の権力者になってしまったところで、本来の教会から大きく外れてしまいました。

 神様はそのような中に介入され、教会が本来の働きをするものに引き戻されました。それが、宗教改革という出来事としてもたらされました。神様は、ルターという一人の信仰者を立てられ、彼の信仰を通して、教会が本来の役割を果たすように引き戻されました。

 教会は、この世の権力をもって人々を牛耳るようなことをするものではありません。そうではなく、聖書を通して神様が多くの人々をイエス様の救いに導き、与らせ、神の国の民として生かすようにする神様のみ業が実現するものです。

 それなのに、その当時の教会は権力をわが物とするために、お金を得ることに奔走し、聖書を、これは聖なるものだから人々によって汚されてはならないなどとまことしやかなことを口実に、人々から隠し、自分たちのお金集めの話しをでっちあげて、それを教会で話して、人々が多額のお金を拠出するように仕向けたのです。

 その最たるものが贖宥状でした。日本の歴史の教科書では免罪符と呼ばれているものです。つまり罪の赦しはお金で買うものだということにしてしまった訳です。しかも、それを本当のことのように思わせるために在りもしない煉獄なるものの物語を作り出して人々を信じ込ませたのです。

 そこで神様はルターを通して、その在り方の誤りを正すように導かれ、ルター自身は宗教改革を起こそうなどと思って始めたことではありませんでしたが、神様が導いて、それは世界を大きく変える程の大転換となりました。

 イエス様の教会はそれによって改革され、大転換が起こされ、本来の教会に引き戻され、世の終わりに向かって、多くの人々がイエス様による救いを得られるようにと、その活動をするものとしての本来の働きをするようになりました。

 それから約500年以上が過ぎています。今は、イエス様の教会は本来の教会の働きをし続けています。聖霊が教会を導かれ、多くの人々がイエス様によって導かれ、信仰が与えられ、その救いに与っています。

 どのくらいになったら、もう十分だと神様が判断されるのかはわたしたちには分かりませんが、確実にそのときに向かって進められていることは間違いありません。わたしたちには、いつその時が来ても良いように用意していなさいとイエス様は教えてくださっています。

 この宗教改革を覚えるこの日、わたしたちは尚一層、主の日が近いことを心に留めて、イエス様が来てくださるときが来ますようにと祈り求めたいのです。主の祈りを通して、いつもみ国が来ますようにと求めているように、心を込めて、一日でも早くその日が来ますようにと求めていいのではないでしょうか。

 その日については、聖書を通して示されていることがありますが、わたしたちには、実際にどのようなことになるのかを想像することすら難しいことで、中々現実のこととは思われないことではありますが、旧約時代に約束されていたメシア、救い主イエス様は約束通り来られて、人類の救いの道を開いてくださいました。

 そして、大きく曲がってしまった教会を神様は宗教改革という出来事を通して本来の教会へと引き戻してくださいました。神様は聖書を通してその救いのみ業を完成することを約束してくださっています。

 神様は最終的にどのようになるか、そうなる時を定めておられます。そのときは必ず来ます。信じて、期待してその時が来ますようにと求めつづけていきましょう。

        アーメン。


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