説教 「主がつながっていてくださるので《
ここも、毎週一回更新しています。(出来るだけ日曜日に)
今日わたしたちに与えられています聖書の個所は「決別説教《と呼ばれているイエス様の説教の一部です。イエス様はこれから捕らえられて十字架につけられるために引き渡されることになり、弟子たちとは地上で人間として生きておられるイエス様は死ぬことになるので、お別れしなければなりません。
そのお別れするに当たって弟子たちに、そしてわたしたちに伝えておきたいことをお話しくださったのが、この説教です。言ってみれば、遺言のようなことばだと言えるでしょう。遺言は最後に残して行く、一番伝えたい願いですので、特に大切なことばなのです。
その残しておきたいこととは、弟子たちにイエス様とつながっているようにというメッセージでした。イエス様はご自分がぶどうの木で、弟子たちはその枝に譬えてお話ししてくださいました。
ぶどうの木に枝がつながっていれば、木から養分を受けて枝は花を咲かせ、実を結ぶようになるということです。それと同じように、弟子たちが、そして、それに続く人たちが皆ぶどうの枝が木につながっているように、つながっていれば、実を結ぶようになるということです。
では、実際、イエス様につながっていて実を結ぶとはどのようなことでしょうか。それは、イエス様が話してくださったイエス様のことばを聞いてそれを信じて受け入れ、イエス様が言ってくださったことを実行するということでしょう。
イエス様がわたしたちに教えてくださった最も大切なことは、イエス様がわたしたちを愛してくださっていることです。わたしたちを愛しておられるので、わたしたちを罪と死から救い出すためにイエス様はご自分の命をかけてくださったのです。
それ程、わたしたちを愛してくださったので、その愛を受け取って、イエス様のことば通り、互いに愛し合うようにするということこそ最も望んでおられることでしょう、それが実現すれば、実を結ぶことになるからです。イエス様を信じる人たちが互いに愛し合いながら生きるようになるのをイエス様は何よりも最も望んでおられるのです。
それは、父である神様が最もわたしたち人間に期待しておられる人間の生き方です。ところがわたしたち人間の現実はどうなっているでしょうか。
人間の在り方ですが、互いに互いを大切にしようとするところがある一方で、自分のことで精一杯で、他人のことなどかまっている暇はないと思ってしまったり、自分の思い通りにしてくれない人たちを疎(うと)んじたり、嫌がったりすることも多いのが現実です。
そして、権力という力を持ってしまうと人間はとんでもない方向へと突き進み始めるところがあるものです。自分の思い通りにならない人を排除しようとし始めてしまいます。力を持った人は自分の意にかなう人を集め、自分の思い通りにならない人を除外しようとします。
それは、小さな組織であっても、大きな組織であっても、そのような意識が働いて、ある人たちは優遇され、ある人たちは排除されるということが起きてしまいます。更に、それぞれの組織が力争いを起こし、対立し、一方の組織をつぶそうとさえし始めるのです。
それが国と国という大きなもの同士の場合は、最悪、戦争という愚かな行動に出てしまうというのが人間の悲しい現実でもあります。
けれども、そのような悲惨な動きの中に、それとは別のことを考え、行動する人たちもいます。それがイエス様のことばを聞いて従う人たちです。イエス様が互いに愛し合うようにと言われたので、そのことばに従う人たちは、人を愛そうとする方を選びます。
互いに対立している人たちの中入って、両者に働きかけて、和解するように関わっていきます。粘り強い交渉をして、どうにか和解する道を開いて行こうとします。それは、イエス様の愛の働きです。
イエス様は神様に対立してしまう人間の中に入って、神様に敵対してしまっている人間に働きかけ、神様が人間を愛してくださっていることを伝え、人間が心を改めて神様の和解を受け入れるように働きかけてくださっています。
それは、全ての人の間を取り持ち、互いに和解して、愛し合う生き方を選ぶように導こうとしてくださっている神様のみ心です。対立していた人たちが互いに相手を理解し、自分とは違う人とも和解して、互いに共に生きる方を選ぶようになると、平和がおとずれます。
神様の愛に満たされて、人が互いに和解し、互いに愛し合って共に生きるようになるのを神様は喜んでくださいます。それこそ、イエス様につながっていることで実が結ばれている状態なのではないでしょうか。
どちらかと言えば、対立しがちな人間の現実がありますが、その中にイエス様は入って来てくださり、和解の道を開いてくださいました。そして、互いに愛し合い、神様と共に生きるようになるのを待ち望んでくださっています。
神様の愛と期待に応えて、イエス様がわたしたちとつながってくださるのですから、わたしたちもイエス様につながって、その愛に満たされて、互いに愛し合う方を選んで生きていきたいのです。
アーメン。