説教 「信じる力《

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20226年3月15日 四旬節第4主日説教
テキストは ヨハネ 11:1*45

 ても親しくしていた自分の身内や、友人が自分よりも先に召されてしまいますと、何とも言葉に言い表させない程の深い悲しみ、寂しさ、悔しさ、怒りを感じるのではないでしょうか。人間はどうして結局は死んでしまわなければならないのかと。

 けれども、一方では、年をとって体が思うように動かせず、自分では色々出来なくなってしまい、人の世話にならなければ生きていかれない状態になってしまったとき、こんなになってでもどうしてまだ生きなければならないのかと思ってしまうのも事実です。

 そこには、どうにもならない問題があります。つまり、人間は生まれたときから年を取り始めて、やがて年を多く重ねると、衰えてしまい、死に向かって行くしかなくなってしまうという問題です。

 ですから、それは、単に死ななければいいということではありません。神様はそんなことになってしまっているわたしたち人間を、けれども、深く愛してくださっています。そして、そのように衰えるなり、たとえ衰える前であっても結局は死んでしまうというわたしたちを深く憐れんでくださっています。

 だからこそ、この衰えて、死んでしまわなければならないわたしたちを、そのような縄目から救い出すように、神様がお考えになられて、その救いの計画を立てられ、そして、それを実際に行われました。

 これは、ですから、わたしたちが考えたことではなく、わたしたちをお造りになられ、生かし、そして、深く愛してくださっている神様がご計画され、人間を何とかこの死の問題から救い出すようにしてくださったという出来事を起こしてくださるというものでした。

 その神様のご計画は、イエス様が人間の手にかかって、しかもその人間の犯してしまっている過ちの一切をご自分の身に受けて、わたしたちが死ぬべき死を受けてくださるという計画でした。そのことをわたしたちが信じられるようになるために、イエス様はご自分が愛し、友としておられた人が死んだときに、そのみ力をしめしてくださいました。

 イエス様がご自分の友としておられたのはベタニア村に住んでいたラザロという人でした。イエス様はこのラザロの姉妹たちも愛しておられました。マルタとマリアです。イエス様が彼らを愛しておられたことを受けて、彼らもイエス様を愛していました。

 そのイエス様が愛しておられた友であるラザロが病気にかかって大変なときに、姉妹のマルタとマリアはそのことを遠くにおられたイエス様にお伝えして、何とか助けていただこうとしましたが、イエス様は更にその遠くの所に二日間も滞在しておられましたので、その間にその大切な友人ラザロは死んでしまいました。

 姉妹のマルタとマリアは悲しみに暮れながらも、ラザロの葬儀の準備をしていました。既に、墓に葬り、死んだ人に施すように、当時の人たちがしていたように体全体を布で覆って、墓の中に紊めていました。

 イエス様がベタニア村に到着したときには既に死んでから4日も経ってしまっていました。それは、もう、完全に死んでしまったことを意味していいました。取り巻きの人たちも、皆既に諦めて、弔いのときを過ごしていました。

 そこへ、イエス様たちは到着しました。イエス様たちを村の入り口までお迎えに出て来たマルタは、イエス様が早く来てくだされば、ラザロは死ななかったでしょうにとイエス様に訴えています。

 後から来たマリアもマルタと同じことをイエス様に申し上げています。あなたが来てくだされば死なないですんだことでしょう。この二人の姉妹もまた兄弟であるラザロを愛していましたので、本当に悔しく、残念でなりませんでした。

 イエス様は神様の救いの計画を彼らに示すときが来たと思われたのでしょう。イエス様の愛していた弟子たち、そして、マルタとマリアに神様がどんなにラザロを愛しておられたかをお示しになられました。

 イエス様は、既に墓に葬られていたその墓をふさいでいた石を取り除かせ、マルタが、もう死後4日も経っていて、臭いますと忠告しているのをしり目に、父である神様に大声で祈り始めます。

 「父よ、わたしの願いを聞いてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らが信じるようになるためです。《このようにイエス様は父である神様に祈られました。

 そうなのです。ことを起こしてくださるのは神様だからです。人間の力で何かをしようとしておられるのではなく、わたしたちをお造りくださった、そして深く愛してくださっています父である神様に祈って、神様のみ力で事を起こしてくださるように、願っています。

 イエス様は絶対的に父である神様を信じておられます。ですから、ご自分が祈った祈りを神様が必ず聞いてくださり、かなえてくださると信じて祈っておられますので、祈ったことは必ず実現すると信じておられます。

 ですから、墓の中に向かってラザロ、出て来なさいと言えてしまいます。これは、余程、確信していなければ言えないことばです。もし、そう言ってもラザロが出て来なかったらなどと少しでも疑いがあったら、そうは言えないでしょう。

 絶対的に、心底、父である神様を信頼しておられるからこそ、次のことばがいえます。ラザロ、出て来なさいと。そして、父である神様のみ力によって、再び命を与えられたラザロは死んでいたのにも関わらず、体中に布を巻き付けたまま墓の中から出て来ました。

 イエス様は、ラザロからその巻き付いている布をほどいてやりなさいと言われました。こうして、その周りにいた人たちも含めてみんなイエス様を信じたと伝えられています。イエス様を信じて、彼らは救われました。

 神様は、世を、人々を、つまりわたしたちを愛してくださっています。そして、一人も滅びないで永遠の命を得るようにと、今も願っていてくださいます。そのために、イエス様をお遣わしになられました。この後、イエス様は捕らえられ、十字架につけられてしまいます。

 その前に、父である神様は死の中から人を生かす力のある方であるとイエス様はお示しになられました。そして、イエス様は実際に十字架の上で死なれ、ご自身も墓に葬られ、徹底的に死の力と闘ってくださいました。

 わたしたちを死と滅びから救い出して、命を得させ、イエス様と共に生きるようになるためです。父である神様がイエス様を通してこの計画を実現してくださいました。ですから、誰であっても、イエス様を信じる人は、死から命へと救われます。神様が救ってくださいます。これは神様が計画し、実現してくださっている事実です。

        アーメン。


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