説教 「来るべき方《

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2025年12月7日 待降節第2主日説教
テキストは マタイ 3:1*12

 るべき方はあなたなのですかとの問いが獄に捕らわれているヨハネからヨハネの弟子を通しイエス様に届きました。洗礼者ヨハネ程の人が、イエス様を疑ったということが隠すことなく伝えられています。

 これは、洗礼者ヨハネでさえもそのような思いに駆られることがあるのですから、ましてわたしたちはもっとそのような思いを抱いてしまうことがあるということを現わしているのではないでしょうか。

 本当にこの方が来るべき方なのだろうか。他にわたしたちを救ってくれる存在を待つ方がいいのではないかなど、それは、今自分が助けてもらいたいと願っているときに、その願いがなかえられず、助からないときに抱く思いです。

 わたしたちもしょっちゅう、イエス様は本当に助けてくださるのだろうか、助けてくださらないのではないだろうか、との疑問を持ってしまうことがあるのではないでしょうか。わたしたち人間はヨハネも含めて罪深い人間なのです。

 だからこそ、悔い改めが必要なのです。それは、悔い改めを解いていたヨハネにとっても同じことでした。自分の思った通りに助からないからといって、神様が自分を救ってくださらないのではないだろうかと疑ってしまう愚かな人間の現実です。

 しかし、それでもヨハネは人間の中では最も偉大な人だとイエス様は言っておられます。イエス様が現れる前に既に、約束の人が来ると人々に証しし、そして、イエス様が来られたときには、そのイエス様が言われた通りに、イエス様にさえ洗礼を授けたヨハネでした。

 それ程のことをしたヨハネは人間の中では最も偉大な存在なのだとイエス様は断言しておられます。そのように人間としては最も偉大でも、神の国の最も小さな者でもそれよりも偉大だとイエス様は言われ、神の国の者とされることの大きさ、凄さを指し示してくださっています。

 罪を悔い改め、そして、イエス様を救い主と信じて受け入れ、父と子と聖霊の吊によって洗礼を授けてもらった人は神の国の子として新たに生まれたのだとイエス様がしてくださいました。だから、その人はイエス様が言われた通り、天の国に入れていただける人だけがたどる道を進んで行くことになります。

 わたしたちは弱い人間で、直ぐに、迷ってしまい、疑ってしまうような者でしかありません。そんなわたしたちだからこそ、イエス様は十字架について、その命をもって罪の償いをして、赦す必要があったのです。

 それしか、この罪深いわたしたちを救う方法が無かったからです。神様がしても、それしか方法が無かったといいうことです。それでイエス様は神の子でありつつ、人間としてわたしたち人間の代わりに罪の責任を取って十字架につくことを選んでくださいました。

 それによって、イエス様を信じる人の罪は取り除かれ、最早罪に問われることが無くしていただけます。イエス様が救い主で、神の子で、わたしたちのために十字架についてくださり、そして、わたしたちを生かすために復活してくださったという、この神様が開いてくださった救いの道を通る人は皆、救われるというのが神様の約束です。

 これを信じる人は、神様の約束に与ることが赦されます。そこに喜びがあります。神様の救いに与るその人は神様を賛美する人であり、神様のみ吊をほめたたえる人であり、神様を愛し、神様と共に居ることが何よりも嬉しい人へと造り替えられていくからです。

 預言者イザヤが預言した通り、そのイエス様が信じる人にもたらしたのは、荒れ野に開かれた道、乾いた地に敷かれた潤いのあるところであり、山犬がうずくまっていたような酷いところに椊物が生えるような豊かな所となり、そこに大きな道が造られます。

 その道は罪赦され、罪と死の力から解放された人たちがその道を進んで行くと約束されており、その道は聖なる道と呼ばれ、イエス様が開かれ、その道を通って行かれた所で、イエス様を救い主と信じて救われた人が進んで行く道です。

 その道を通って向かうべきみ国へ向かって進んで行く人たちは喜びの歌を歌いつつ、その道を通って行き、神様の都に到達することとなって、そこでは喜びと楽しみがその人たちを迎えると約束されている、というのが預言者を通して伝えられていたことでした。

 そのように預言者を通して伝えられ、約束されていたことが今や、イエス様によって実現し、その道は開かれ、イエス様を信じる人たちは皆その道を通って喜びの歌を歌っています。わたしたちが教会で、あるいはどこででも、讃美歌を歌っているのは、その道を通って喜びの歌を歌っていることです。

 そこで待っていてくださる神様に信頼し、祈り、そのみことばを聞くことを楽しみとし、たとえ苦しいことがあっても、疑わしい思いを抱くことがあっても、何度でも悔い改めて心を神様に向けるよう、導いていただきながら、その道を進んでいくことが赦されています。

 来るべき方はあなたなのですかとのわたしたちの問に対してイエス様は今日も、イエス様が来られたときに起こされた諸々のことを聖書を通して、教会を通して、イエス様を救い主と信じる人たちを通して示され、その開かれた道を進んで行く者たちの幸いを伝えつづけてくださっています。

        アーメン。


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